02『芸術グラフ』第5巻6号(通巻32号)、1984年7月号、森田文雄 選評
- kujakuhanamasakobl
- 2024年3月10日
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更新日:2024年4月11日
前年(1983年)には〈東光展〉入選33作品の中の1作品でしかなかった昌子の絵が、翌1984年にはいきなり見開きで紹介されるに至った。しかも、当時第二期の制作期に入っていた昌子の絵が、第一期にまで遡及して「現代注目作家」として一挙に4枚がカラーで掲載されている。さらに左ページでは、アトリエでの昌子の姿などが掲載されている。
1984年は、昌子にとって飛躍の年であったのだろう。
〈現代注目作家〉

70ページ右上。第一期の作品。
「舎のとり」(1977年)や「華麗なる競演」(1978)に近い作品。二羽の鳥(クジャク)が対峙していて緊張感がある。手前が美の「勝者」なのだろうか。

70ページ左上。第2期の作品。 現在、熊本市立泉ケ丘小学校所蔵。
羽を広げた美の「勝者」の下に、十数羽の「敗者」が描かれている。「勝者」に対する羨望なのか、怨嗟なのか。見る者の心をざわつかせる作品である。

70ページ右下。
名作として有名な「鳥界(待春)」の姉妹作品。ここにも、「勝者」に踏みしだかれるように十数羽の「敗者」が描かれている。明るい空と対照的な闇の地下なのだとすれば、「敗者」たちは亡霊として描かれたものか。

70ページ左下。
第1期~第2期には、このように鳥(クジャク)の羽の色や形を描かない作品がいくつかある。いうまでもなく、鑑賞者の脳裡で形を与え、色を付け、完成させよとのメッセージなのだろう。これは世阿弥の能芸論(演劇は舞台上で完成するものではなく観客の脳裡で完成する)に通じるもので、昌子の芸術理解の深さが知られる作品である。
【誌面構成上の昌子作品の位置づけ】
「現代注目作家」として本誌に紹介されているのは昌子のほかに大山康彦、石井春四郎。
この3名の中でも冒頭に昌子作品が紹介されている。
右ページ

左ページには、アトリエでの昌子の姿や、2作品がモノクロ掲載されている。

森田文雄(推定)による選評。

(選評のテキストデータ)
孔雀を描き続ける金子真子
――孔雀のイメージ的な華麗さと気品とどう猛さに惹かれたのです――
孔雀を好んで描くのは、火の国生まれの女史自身の生き方の証しでもあるのだろうか。
阿蘇を背景に孔雀を描く構想を進めていると聞くと、確かなルーツを持った人物の、揺るぎない心象風景がそこに浮かび上がってくるようだ。
半ば抽象的でもある女史の〝孔雀〟の背後には、描き貯められたおびただしいスケッチの山がある。その一枚一枚をとり出して形を決めてゆく女史は「孔雀で一番美しいのは、羽ではなくて首だと思います」と語る。
しかし、描かれたものは写実を通り抜けた構成であり、色面の形成である。自己の強靱な個性を濾過し、さらに対象を超えて意識の底から純粋の美を造り出す。 それが女史の追求の姿である。
作品の構図は大胆だが、確固とした緻密さで決められていて、なお外界に広がりを持つ。マチエールに独特の輝きがあり、色彩は微妙な変化に富んでいる。青が特に際立つ。
「ペルシャのガラスの色に魅せられているのですが………」と話すように画面全体が透明感に貫かれている。
現代感覚と精進を極める日本絵画の伝統を調和させ、屹立させたともいうべき作風である。
「これからも孔雀を描き続け、夢中になってやって行きたい」とますます意欲を燃やす、卓抜した作家をここに見る。
(文中のゴシック体・下線は金子昌子美術館運営委員会による)
〈解説〉
この選評には署名がない、いわゆる非署名記事である。この当時の『芸術グラフ』の発行人は森田文雄なので、彼の選評だと推定される。
この時点で「個展七回」とある。
昌子は熊本出身であるが、この時期、夫の転勤に伴って福岡市に居住していた。
同誌 表紙

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同誌 奥付
編集人・発行人に「森田文雄」とある。昌子を「現代注目作家」として引き立てたのは、当時『芸術グラフ』の発行人であった森田文雄であったとみられる。

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