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09『芸術公論』第6巻第3号(通巻31号)1989年5月号、川澄吉広 選評

  • kujakuhanamasakobl
  • 2024年3月10日
  • 読了時間: 2分

更新日:2024年4月11日


〈芸術公論選抜展〉

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「舎のとり」 サイズ等詳細不明、所在不明


 第3期から第4期に移行する特徴を備えている。

 「舎のとり」は昌子の初めての日展入選作(1977年)と同名。12年後に同名の別作品を仕上げることによって、自らの歩んできた軌跡を確認したかったのかもしれない。

 なお、1977年の「舎のとり」は次の作品であった。

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川澄吉広の選評。

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(選評のテキストデータ)

 孔雀の華麗な象徴とも呼ぶべき尾が画面から省略されている。実際に美の形を描き装飾するのではなく、見る者それぞれに不在のイメージを喚起させる、いわば描かないことによって描く手法である。それまで鳥の全体を描出し、あふれんばかりの感性で作品を彩ってきた金子真子が新しい境地に立って、再び美に対峙する

(文・川澄吉広)

(文中のゴシック体・下線は金子昌子美術館運営委員会による)




【誌面構成上の昌子作品の位置づけ】


 前年までの高い評価に比べて、1ページの2分の1の紙面に留まっていることから、一歩後退しているように見えるが、注目すべき点が2つある。

 1点目は、後掲の目次でわかるように、本号には〈熊本の文化と風土〉と題して熊本出身の芸術家を紹介する企画があるのだが、昌子を「熊本」の画家としての枠に収めなかったということである。また同号には恒例の〈女流が彩る美の世界〉という企画もあるのだが、昌子は「女流」の枠にも収められなかった。昌子の「舎のとり」は「熊本」でも「女流」でもなく〈芸術公論選抜展〉に選ばれているのである。これに選ばれているのは、陶芸・木彫・書道の作家を含めてわずかに12名である。

 注目すべきことの2点目は、昌子にとっての新たな美術評論家・川澄吉広が登場したことである。美術評論家によって美意識も価値観も異なるため(いわゆる好き・嫌いを含めて)、これまで昌子を評価してきた森田文雄、秋沢国男、水上杏平、佃 堅輔ではない第五の人物として川澄吉広が昌子を評価したことは、当時の美術界全体が昌子を評価したと言ってもよいほどの説得力をもつ。

 川澄吉広は、翌1990年、昌子をさらに上の高みに押し上げることになる。



2分の1ページ分の紙幅ではあるが……

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同誌 表紙

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同誌 目次見開きの右ページ

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同誌 目次見開きの左ページ

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目次のアップ

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下段の3行目に〈熊本の文化と風土〉、7行目に〈女流が彩る美の世界〉があり、その次の行に〈芸術公論選抜展〉がある。


同誌 奥付

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奥付のアップ

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